諸井珠樹(もろいたまき)先生 - 素敵な人のお話 <医療機関経営支援サイト「ドクタートレジャーボックス」
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諸井球樹(もろいたまき)先生


 

 
【生年月日】  
昭和21年7月20日  
【経歴】  

昭和50年 3月 東邦大学医学部卒業 医師免許証(第226254号)
昭和50年 5月 横浜市立大学研修医
昭和52年 4月 横浜市立大第一内科入局       
昭和55年 6月 茅ヶ崎市立病院内科
昭和56年 6月 横浜市立大学付属病院第三内科
昭和60年 6月 総待寺鶴見総合病院内科
昭和61年 6月 神奈川高座病院内科
昭和62年 4月 諸井クリニック開院 院長
平成 4年12月 横浜市立大学博士号取得
平成 7年11月 医療法人社団 シュアネス設立

 
【資格】  
日本内科学会認定内科医、
日本消化器病学会専門医
日本超音波医学会専門医 
日本肝臓学会専門医
日本医師会認定産業医
医学博士
 

 

昭和62年4月に諸井クリニックを開業しました。

クリニックは駅から近いとても便利な場所にあります。健診センターを併設し18名のスタッフを抱え110以上の健保組合との契約をして、年間健診数が5600人の健診をするなど、地域でとても大きな成果をあげています。

現場では、看護師長として奥様が先生を支えています。事業を始めたときには、奥様は車で10分程のところに住んでいて朝から夜までお仕事をしていらっしゃったそうです。

さて、先生は、開業にあたっては開業支援を行うプロに依頼され、当初から上大岡総合健診センターとして人間ドックや健診を開始しましたが、最初は人間ドックといっても運営の仕方を知らない世界で、そもそもどのように健診の契約をとっていけばよいのかも知らずに始めたので、大きくするためにとても苦労したそうです。

県からの許可を得て健診をはじめましたが、当初は健診というよりも外来での患者さんが多く来院していたそうです。ほどなくして先生の友人の医師の紹介で、バスで企業健診をしていた方が診療所に入ってくれました。その事務長が、当時S生命のスタッフの健診をかわきりに、N生命など5社ほどの契約をとってくれたので助かったとのことです。

その後事務長はお辞めになり、若い営業担当を採用し奥様も営業に加わったことから、今は移転してしまったが、近隣にあったN社の健診がとれ仕事は拡大して行きました。それでも順調になるまでに5〜6年がかかったということです。先生の叔父さんに事務長をしてもらうようになりましたが、営業力を埋めるように近隣の健診センターから営業の人が入ってきて、営業体制がさらに整備され営業の基礎ができてきました。

当初は外来で先生が自ら胃の透視やエコーも始めていましたが、健診の人数が増えると今度はレントゲン技師が入所してきてくれたそうです。先生が検査技師にエコーを教えて、エコー検査をしてもらえるようになりました。

しばらくして受診者が増加してくると、コンピュータで健康管理したいという気持ちがでてきました。コンピュータが使えデータ管理できれば、どんなに楽だろうという思いです。「電話がかかってきて名前を入れると健保のデータがでてくるというデータベースができれば利用者にメリットがある」と思われたそうです。

当時、健診結果については、プリントアウトしたペーパーはあるけれど、どこどこの誰々と言うことから捜していくのではなく、コンピュータに名前番号を入力すれば受診者が表示され、質問に答えることができるようにしたいという考えがむくむくと頭を持ち上げてきたということでした。

凝り性で一つのことを貫き通す性格の先生は、それからながいあいだソフトづくりに邁進することになります。まずは、自分でソフトを作成するところからはじめられ、米国のパラドックスをつかって作業がはじまりました。その後いろいろなソフトが販売され、それらの活用をも含め、試行錯誤を行い平成5年から10年以上休みなく開発を続け、健診データを瞬時に取り出せるシステムを整備してきました。先生は「画家が、細部から始めて全体の構図を描き絵を完成させていくような、また料理では下ごしらえから始まり、出来上がった時の味を描きながら作るような、随所に工夫を凝らして“物を作るという楽しみ”を知った」とともに「プログラムの虜になってしまい、年月の多くを費やしてしまった」と話されます。

実はソフトつくりをしながら野球にも凝っていたこともあるそうです。
先生は、大学時代に野球部に入っていたのですが、野球が盛んな整形外科に研修医として回ったとき試合に狩り出され、当時の整形外科部長の先生からの勧めもあり、内科に入局して間もなくチームを作り、他の医局のチームや製薬会社のチームとグランドを見つけては野球をしていました。また横浜スタジアム球場でも何度か野球をやったそうです。ピッチャーをやりたくて、子供が生まれたときにも野球をやっていて、家庭を顧みることがありませんでした。凝り性の性格が顔を出した先生にとっては生涯での一大事件です。現場で忙しく働くことで先生を支えていらっしゃった奥様に「随分と辛い思いをさせた。申し訳なかった」と先生は述懐します。

開業しても野球をずっとやっていて、横浜市大近くの今は公園となりましたが当時の横浜国大跡地は野球が3面で出来るほどグランドが広く、多くの草野球チームが対抗戦をやっていました。野球を続けたくてそのひとつの南星(なんせい)という名前のチームに所属し、試合をして過ごされ、最近まで野球を続けられたそうです。「野球は体力もつくし、地域で営業にもなった」と話されます。
さて、そんななか先生は、いまも行っている特定健診、特定保健指導において、「あるお考え」があり、血圧、血糖、体温を管理する独自の方法で地域住民の健康管理に医師としての人生を捧げたいとおっしゃいます。
ご家庭では2男1女にめぐまれ,勤務医と看護師と医学部学生のお子さんがいらっしゃいます。一つのことを貫き通すご性格の先生の診療所や健診センターは、これからも益々繁栄し、絶対的に地域貢献していくに違いないと、お話をお伺いして確信を持ちました。


 





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